人は何のために生きるのか。~本物の幸福を求めて~

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こんにちは。

私は今日、弱い自分と向き合い、ある決断をしました。

この決断に至るまで、私は何度、自分の弱さを憎み、嫌い、消えたいとさえ考えたことか、、。

今回は、その決断に至るまでに私が考え続けた事や経験をもとに、色々とお伝えできればと思います。

この記事が、私と同じ境遇にある人たちの力になることが出来れば幸いです。

報われない日々の連続

大切な人を幸せにしようと経済的な安定を求めて、自己犠牲も覚悟して好きでもない仕事に従事したはいいが、1年ももたずに潰れてしまった。

大切な人に許しを得て、友人の繋がりも利用してまで必死に掴んだ自分の好きな仕事でも、また1年ももたずに潰れてしまう。

特に何かあった訳ではない。寧ろ、同期の中でもどちらかと言えば実績を上げていたし、周りからも、顧客からも期待され、頼りにされていた方である。

それでも、それはいつも突然訪れる。

人と会いたくない。外にすら出たくない。何もしたくない。何も上手くいく気がしない。何もかもが怖い。体が動かない。

いわゆる、うつの症状だと思う。

周りの皆は、「頑張りすぎて疲れたんじゃないか?少し休めばもとに戻るよ」と、いつも優しい声をかけてくれた。しかし、こんな状態に陥てしまったらもう最後。もともといた自分の居場所は恐怖な空間でしかなくなる。

そういえば、幼い頃から私はこんな地獄を繰り返して生きてきた。普通なら誰だって出来る当たり前な事ですら、突然出来なくなる。学校に毎日行くということだってできた試しがない。だから、これまで私は皆勤賞なんて獲得したことがない。

人は何故生きるのか

私はずっと、このテーマについて考え続けてきた。多分、中学生の頃からだったと思う。

人は何のために生きるのか。なんで自分の好きな事をするのを我慢してまで苦しく辛い仕事や環境に奉仕するのか。そんな人生って幸せと言えるのだろうか。

人として生まれてきたものは皆、幸せになる権利があるんじゃないのか。生まれ持って自由なんじゃないのか。確かそんな感じの事をなんかの本で読んだ気がする。

生きるってなんでこんなにも苦しいことなのか。こんな思いで生きてるのは、不幸なのはまさか自分だけなんじゃないかとさえ考えていたこともあった。

人が生きる目的は何なのか。必死にそれをググったこともあった。

アリストテレスの言葉

沢山調べて、何度も検索しまくって見つけたブログにこんな事がかかれてあった。


 「生きてる意味は幸せになることだ」 アリストテレス(哲学者)


生きてる意味って何?  知識人が答えた 生きてる意味の回答7選 – くもりのち晴れみでぃあ より引用

人が生きる最大の目的は、「幸福の追求」だという。

ここでの幸福とはどういう意味?というかそもそも、幸福って何なんだろう。

幸福とは何か

【幸福】
[名・形動]満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。「幸福を祈る」「幸福な人生」「幸福に暮らす」

goo 辞書 より引用

辞書で引くとまあこんな感じ。

「不平や不満がなく、たのしいこと」。これが幸福の定義なんであれば、私はやっぱり不幸なのか。

周りの人達は、私の暮らし方や、身の回りの環境についていつも、「恵まれている」という。大好きな人と一緒に暮らしていたり、自分の好きな車を新車で購入して所持していたり、人徳があったり、運がよかったり、、。

確かに、客観的に見れば、幸福の定義に一致しているのかもしれない。でも、そんなことは、苦しい状況に陥ってる人には見えないもの。

余談だが、精神的に滅入ってしまっている人に対して、激励のつもりでもこういった客観的な視点でしか見えないものにばかり目を向けて、「お前は恵まれた環境にいるんだぞ。私の方がくだらない環境にいるんだしそれでも頑張っているんだからお前ももっと気合い入れて踏ん張れ!」なんて声掛けはしてはいけない。

私はこんな、人の気持ちを理解しようとせず、個人の価値観で求められていない応援をする大人たちを沢山見てきた。

でも、そろそろ気づいた方が良い。それは逆に相手を苦しめているに過ぎない事に。

話をもとに戻そう。

私は、ある人が幸福であるか、不幸であるかは、他人が決めるものではなく、自分が感じるものだと思う。

だから私は、「人は何の為に生きるのか」なんて事をググっている時点で不幸なんだと思う。

人が生きる目的は、幸福の追求。

きっと、私も幸福になれるはず。だから、思い当たることは全て試みた。

幸福を求めて

これまで、幸福を求めて色んなことをやった。

始めは、好きな仕事をするということ。

自転車が大好きだったから、自転車屋さんに勤めた。また、子ども達と関わる事が好きだったので学習塾の先生をやったこともあった。

けれど、結局どっちも私の弱さによって続けることが出来なかった。潰れるまでは確かに充実感もあって幸せだった。でも、それもすぐに失ってしまった。

次は、人の役に立つ仕事をしようと、提案型の営業職に就いた。

それでも結果は同じ。結局長くは続かなかった。

何をやっても続かない。上手くいかない。大切な人や母親まで心配をかけて、苦しませて悲しませる。本当に最低でクズみたいな人間だ。

気づけば私は、自暴自棄に陥っていた。

でもここまで挫折を経験して、私は一つ発見した。

どの仕事も、私は自分の理想の姿を思い浮かべ、それに向かって尽力していた。

仕事だけではない。学生時代だって常に頭の中にあったのは自分の理想の姿だ。だから、身の回りの幸福にも気づかず、自分の理想と現実のギャップに苦しみ、気づかぬうちに精神的に疲弊し、潰れてしまっていたのではないか。

理想なんて捨ててしまえ

人は皆、常に自分の理想を求めて生きていいる。理想は欲とほぼ同一なものだと考えていいと思う。

「いつかはこんな自分になっていたい」

「いつかは高級車や高級時計を所持したい」

「いつかはこんな場所に住んでみたい」

こういった理想によって鼓舞され、信じられないくらい素晴らしい功績を残す人達も世界には何人もいる。

別に私は、そんな素晴らしい人たちを否定するわけではない。

幸福を追求する方法は、皆同じじゃなくていいんだと言いたいのである。

理想や欲によって人生を支配され、幸福なものにも気づけない盲目な状態に陥ってしまう人たちもいる。私もその一人。

ようやく、そのことに気づくことが出来た。

昔、私の祖父や母が言っていた。

「人生なんてなるようにしかならない。」

当時、私は、そんな考え方で生きて何が面白いんだと反発したことがあった。

けれど、今の私にはその言葉の意味がよく分かる。別に祖父や母がそんな考え方で生きていたって別に彼らは不幸だった訳ではない。

大切なのは、幸福の追求。人それぞれが幸せだと感じていればそれでいいのである。

だから、私は考え方を変えた。これまでは、自分の理想を追い求めて、他人と比較し、常に現状に満足できない、欲に支配された生き方が正しいんだ自分に言い聞かせていた。

けれど、今は違う。

本当に大切なのは何か。

それは、自分の健康とともに、大切な人達への恩返し。

どれだけクズに陥っても、傷つけても、ずっと付いてきてくれた人たちに感謝し、その恩返しができる。その余裕が持てる生活がしたい。

だから、私は、仕事で生きる人生を諦めた。

別に逃げた訳ではない。本物の幸福を手に入れる為に、また新たな一歩を踏み出すのである。

今度こそ、永遠に自分を好きでいられる人になってみせる。

おわりに

ここまで読んで下さった方。本当に有難う御座いました。

本当に何やってもダメで、人を悲しませてばかりの人生を歩んできましたが、私の経験や考え方が、多くの人達の力になれれば幸いです。

私と同じように苦しんでいた過去を持っていて、そこで見つけた人生観や価値観などを共有できると嬉しいので、大変厚かましい限りですが、そんなコメントをお待ちしております。

では、今回はこの辺で。

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